脇本城

築城者:安東氏 天正十八年(1590)
所在地:秋田県男鹿市脇本字七沢外

№423

《生鼻城》

《太平城》

内館から城郭を望む

脇本城郭で最大級の大土塁

県道56号線沿いの駐車場

山腹の駐車場の説明板

県道沿いの説明板

大手道

天下道・馬乗り場

家臣館跡

二の丸から日本海沿いの城下町

城郭から振り返ると中腹の駐車場

内館 家臣屋敷跡

天下道

天正五年(1577)下国安東愛季が大規模に修築し居城した城として知られている。
愛季はもと檜山城主であり・元亀元年(1570)秋田湊城を総合して男鹿島をも
直轄し、『ひのもと(蝦夷)将軍として』蝦夷管轄をも担い、織田信長との交渉の
さなか、脇本城を居城として。盛時の縄張りは茶臼館や岩倉館まで含む。

もともと十四世紀頃から城館が栄まれていたとみられ、愛季の後の城主脇本五郎脩季
の伝労承を伴っている。天正十七年湊合戦で戦場となり、豊臣大名秋田実季の代には
本格的修築は許されなかった。近世には、大平城跡・生鼻城跡の通称でも伝えられたが
文化七年(1810)大地震の際 生鼻岬が700メートル余が海中に没し、現在は本丸と
みられる地域に郭・土塁・空堀・井戸跡などが残り、黄瀬戸・青磁・珠洲陶などが出土する
                             現地案内板より

登城日 平成22年(2010)9月13日  作成日 平成22年(2010)10月27日

男鹿グランドホテルのフロントで脇本城の情報を聞き、秋田城に向かう途中に寄った。
県道56号線でトンネルを出た左にあります。の情報で、トンネルをでると脇本城の
表示板と駐車場があり、一番の乗りででした。歩いて上がられる女性の方が
上にも駐車場があります。と、教えて頂き、車に飛び乗る。

車で10分だが、歩いて30分程かかるでしょうね! 山腹の駐車場は5~6台
城郭は壮大で、芝生が植えられ清々しく散策できました。内館跡を中心に家臣屋敷跡
大土塁・空堀・井戸跡など、ダイナミックな城郭に気がつけば2時間が過ぎていました。

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