伊奈城

築城者:本多定忠 永享十二年(1440)
所在地:愛知県豊川市伊奈町深田

《上嶋城》

№437

十五世紀の中頃本多定忠・定助の築城で、上嶋城ともいわれていた。
天正十八年(1590)本多康俊が、下総国(千葉県)小篠へ移封される
までの百数十年間伊奈本多氏の居城であった。

伊奈城主の菩提寺東漸寺に伝わる古図によると、三方を河川と沼地に囲まれた
要害堅固な地に加えて、城下まで舟運の便のよい地であった。

永禄年間に大塚城主の岩瀬氏に攻められたが、時の城主本多忠俊は兵を柳堤に
出して防ぎ、御馬・梅藪にでて戦い、これを退けた。伊奈城の攻防はこれ一戦
だけである。

下総国小薮へ移封後は廃城となり、それ以来四百年余り獲経た現在も土塁の
一部と本丸の郭跡が残っている。特に土塁は室町時代の地方の平城跡を今に
伝える数少ない貴重な遺構である。         現地案内板より

石垣沿いからの模擬櫓

本丸で慌しく準備されるスタッフ

土塁からの模擬櫓

堀と逆茂木の説明板

伊奈史跡保存会代表の太田賢治氏

土塁上からみた本丸(会場)

石段で土塁に上がれます

開演まえの関係者

花ヶ池公園

花ヶ池のスイキとジンサイ

逆茂木のあった堀

本田氏系譜碑

花ヶ池の説明碑

土塁上に伊奈城碑

登城日 平成22年(2010)10月23日  作成日 平成22年(2010)11月7日

伊奈城に着いたのが13時過ぎで、係り(伊奈史跡保存会)の方は昼食も摂らずに
慌しく準備されていました。なにも知らずに訪れた私は、その慌しさに躊躇して
しまいました。無料駐車場に停めさせてもらい、本丸に入り係りの方にお尋ねすると
毎年10月に催しされ、今年で12回目だそうです。

夕方の17時から、伊奈城の説明会で太田氏が30分間説明されるとの事でした。
太田氏に伊奈城と徳川家康の家紋との成りそめなどを約1時間もの間教わりました。
また、スイキと家康の家紋の関係なども教わりました。花ヶ池は、元太田氏の田だった
が、花ヶ池公園を復元されるので、土地を提供されたそうです。

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