岡崎宿
大平一里塚
矢作川の材木町より下肴町角の道標
両町より伝馬町の道標
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岡崎は矢作(矧)川と支流の乙川の合流する、
物資の輸送路の要とて位置した。
岡崎城は康正元(1455)年西郷稠頼により築城され
その後徳川家康が居城し、その後秀吉の家臣田中吉政
によって城下町として整備され、矢作川に初めて橋をかけられ、
さらに二十七曲りの防衛をして東海道を城下町に通した。そして
府中、宮宿と並ぶ繁華な宿へと発展して行った。
岡崎宿の中心は伝馬町でここに本陣、問屋場などが立並らび、
東の籠田惣門の前には往来する高位高官者に岡崎藩が接待を
した御殿、御馳走屋敷があった。また市内には300余の
多くの寺院があり都市景観をなしている。
本陣:3 脇本陣:3 旅籠:112 人口:6,494人
江戸時代、岡崎城は徳川家発祥の地であり、
また三河の中枢でもありました。そのため、城の
近くを通る東海道を幾重にも折れ曲がるよう工夫し、
外から攻めにくくしていました。これが「二十七曲がりと
呼ばれるもので、城下の各地に道標が残されています。
また、昭和五十六年(1981)にはその様子を記した石碑が
建てられました。
二十七曲り
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岡崎の二十七曲りは歩くのをお勧めします。
車で周られると、一方通行があり、逆走になり
この伝馬町附近も一方通行となっています。
ゆっくり歩いて昔の雰囲気の残る城下町を
散策される事をお勧めしたい二十七曲りです。