日本城巡り

日本橋

東海道五十三次の始まりは日本橋、慶長六年(1601)徳川家康によって東海道
に伝馬制が設けられ、街道が整備された。しかし日本橋はまだ無い。
その翌々年の慶長八年(1603)に、江戸城の堀から東へ流れ隅田川に注ぐ川に
架けられた橋、それが日本橋である。同九年になり、東海道を初め中山道や
五街道に設けられた一里塚は、すべてこの日本橋を起点にして定められた。

参勤交代で国に戻る大名行列も、日本橋を朝の七つ『午前四時』に出発した
という。陽のあるうちに宿場に着かなければならないので、出発も早くなる。
まだ暗いので行列は提灯を点けて歩く。高輪辺りでやっと夜が明けてくるので、
提灯を消したのであろう。現在の日本橋は、明治の代表的建築家、妻木頼黄の
設計で明治四十四年(1911)に架けられた。石造り二連アーチの道路橋で、
長さが四十六.八b幅二十七bである。橋の中央に日本国道元標のプレートが
埋め込まれている。

東海道の出発地

通行手形発行日 平成二十二年四月十七日 作成日 平成二十二年(2010)四月二十四日

自宅を1時半に出発したが、4月というのに中央高速がチェン規制の表示。
仕方なく、名神自動車道・東名高速と、混雑の首都高を乗り継ぎ7時到着。
小雨降る日本橋の中央の歩道から、車の通行量は少ないが、規則は守りたい
ので車道中央にある日本国道元標のプレートをカメラに納める。

日本橋高札場跡、東京市道路元標柱をカメラで覗く、そのうしろに三越が見えた。
三越の前身の越後屋は、天和三年(1683)にここで現金掛値無しの呉服店
として開業したというから歴史があるらしいから凄いですね〜。

今日、4月23日に岡崎の三河の住人さんが大阪の高麗橋を朝8時半に出発して、
中仙道で、この日本橋を目指す。
昨年はこの日本橋から、東海道を18日間かけ京都三条に到着されました

凄い方とお知り合いになれた事を光栄に思いますが、私の生活に変化は
(/ω\*)。

日本国道元標のプレート

日本橋高札場跡

元標の複製

東京市道路元標柱

中山道の出発地

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