菊川坂石畳
静岡県金谷町菊川字東坂
2004・03・20諏訪原城の登城途中に寄る
この菊川坂石畳は、平成十二年の発掘調査により
江戸時代後期のものと確認された。
江戸時代は、様々な仕事が助郷という制度によってなされ
この石畳も近隣十二ヶ村に割り当てられた助郷役の人たちに
よって敷設されたものです。
この長さは三百八十間(約69m)あったともいわれています。
しかし現在では、昭和三十年代から四十年代にかけて工事により
一部破壊されたところもありますが、このように長さ百六十一メートル
最大幅四.三メートルを残しております。
かっては、江戸と京都を結ぶ主要な街道としてこの石畳も多くの
旅人たちで賑わったといわれ、往時をしのぶ文化遺産として大切に
後世に伝えていかなければなりません。
通行手形・平成十六年(2004)三月二十日発行 作成日平成十六年五月六日 編集日平成十八年八月六日
花沢城から諏訪原城に行く途中コースを間違え、この間違えで発見した石畳です。
当時は、あまり街道に興味が無かったが、余りにも綺麗だったので写真を撮って保管していた。
今年になって、ホームページの城巡りも落ち着いてきたので、今までの資料を整理していると
菊川坂石畳の写真と資料が出てきたのでホームページに載せることにした。
平成十六年の時は、まだ、工事をしていて菊川坂石畳から見上げると、諏訪原城が見えていた。
お茶畑の側道を脱輪しないようにうねる道に沿って駆け上がること10分。
なんとか諏訪原城にたどり着く。
扇状の天守台付近から、眼下に先ほどの菊川坂石畳周辺が広大に広がっていた。