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台ヶ原宿の東の入口

甲州街道

台ヶ原宿

本陣跡

台ヶ原宿場の民家

名水百選の水飲み場

和菓子の金清軒の信玄餅は美味しいです

大河ドラマでお馴染みでした七賢

七賢は1750年に初代北原伊兵衛光義によって創業されました。
天保六年に信州高遠城主内藤駿河守より「竹林の七賢人」
の欄間一対を贈られて、酒名を「七賢」と称するようになったそうです。

山梨にはとても有名な和菓子屋さんが3つあります。
桔梗屋・金精軒・澤田屋
澤田屋は、「黒玉」という大変美味しい和菓子を売りにしています。

信玄餅を最初に売り始めたのは、金精軒です。
桔梗屋は後発なので、商標名は「桔梗信玄餅」としています。
味はどちらも美味しいですが、食感では、桔梗信玄餅の方がモチモチしていたかな・・・

地域には、日本の百名山「甲斐駒ヶ岳」の名峰がそびえ、麓から宿場沿いに流れる清流「尾白川」は
日本の名水百選の一つに数えられている。また、宿場街道も日本の道百選に選定されている
名道であり、三位一体の日本百選に恵まれている景観地域である。
また、地域全体に全国のミネラルウォーターの三分の一近い生産量を誇る豊かな天然水があり
山深い緑や清らかな大気などの自然環境が混然一体になっている自然と人間の共生地域でもある。
 
台ヶ原宿には、上・中・下の三宿がある。上宿の鎮守の杜には、田中大明神と荒尾大明神を祀る
一社二本殿がある。ここに昔から伝承されてきている「虎頭の舞」は、甲斐国史にも登場している
全国的にも珍しい勇壮な奉納舞いで世評が高い。また、拝殿は特異な建築様式で、江戸時代の
初め幕府の壺道中行列が宿泊し、二度の修造料を拝領している。
 
上宿では、平成十五年秋から骨董市が三日間開かれるようになり、現在は宿市へと大きく成長し
門前市をなす盛況である。中宿には、平成十五年に宿場の総合案内板が設置されている。
昔ながらの本陣・問屋・郷倉跡などが図示され、現地に詳細な説明板がある。
 
下宿には、尾白川沿いに甲州街道の古道が釜無川との合流点まで続き、歴史を偲ぶ遊歩道に
なっている。また、この合流点の近くに通称「横山の無名碑」がある。幕末に30d近い石碑を対岸の
山から何のため、どのようにして運んできたのか興味深い。
 
甲州街道台ヶ原宿は、中央線の開通により宿場としての機能はなくなった。しかし、残された自然と歴史が
招く山里の宿場街である。

                                   資料提供 山梨県庁

江戸幕府によって整備された五街道の一つであり、江戸(日本橋)から内藤新宿・
八王子・甲府を経て信濃国の下諏訪宿で中山道と合流するまで三十八の宿場が置かれた。
甲州街道、甲州道中とも呼ばれた。中馬による陸上運送が行われた。

国道二十号線に出る一つ手前の交差点に『台ヶ原宿』の小さな看板が目に付いた!。
次の信号の手前で車を停め、駆け足で様子を見に戻る。一目見た瞬間、これは行くべき
!!
車に飛び乗り、息子に東の端から見るべし。と反強制的に車を
発進
旧街道に入ると、家々の玄関先には『甲州街道 台ヶ原宿』と書かれたお揃いの植木鉢にいろんな花が
咲いていた。酒の王者『七賢』の醸造元の隣に昔ながらの豪壮な門と白壁の塀で囲われた屋敷が
並んでいて旧脇本陣・北原家住宅と説明板に記されていた。甘党の私は向かいの金清軒に入り、謙信餅をゲット!

全国名水百選(環境省)・八ヶ岳南麓湧水群
武田信玄公が戦国時代に水争いを治めるため三つの村に均等に
湧き水をわけたことからこの名がついた。
水質/湧水量 1日8,500d 温度 通年約摂氏11度

                 情報提供 山梨県企画部広聴広報課

通行手形発行日 平成二十年(2008)九月十五日
作   成   日 平成二十年(2008)十月〇五日

街道沿いの民家は、現在もこの様な門構えを維持しているのは
大変ご苦労があると思いますが、訪れる観光客としては素晴らしい事で
ありがたいと思いますm(_ _ )m。

所在地 山梨県北杜市白州町

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