日本城巡り

茨木街道


西国街道の宿川原〜茨木市〜高槻市〜大塚で枚方街道と合流〜淀川を渡る〜枚方に至る

西国街道の宿川原の椿本陣前から、道祖本街道とも言われる巡礼道を進み、郡三丁目で一時清坂街道を

南に入って名神高速をくぐり上穂積に至り、清坂街道と分かれて東に営業倉庫群の間をぬけ春日五丁目で

池を埋め立てて建った茨木高校の南側回り、春日神社前を南に住宅街の中を通る。

春日神社には重文の延慶二年(1309)銘の石灯篭があり、三丁目には勝尾寺の道標があったが、

現在は根元から折られて倒されたままになっている。

春日一丁目との境で東に折れて東海道線をくぐり、上中条を東に茨木税務署北を経て茨木神社の北を通り

本町で枝切街道を横切るが、その角の化粧品店の外壁に、半分埋め込まれたように立っている道標がある

片桐町の茨木小学校の地は、茨木城本丸跡で校門内に城跡の碑がある。

阪急茨木駅北側の繁華街につづき、交通の混んだところを過ぎ行くと、次第に住宅が多くなり、中津町中程から

府道に一時離れ、中津小学校前を通り住宅街の中に旧道らしい道がつづいている。

五十鈴町の北部のバス停の前に溝昨神社参道の大きな石碑が立っているが、五十鈴町の集落は安威川         

西岸に沿って、古いたたずまいの浄福寺や薬師堂があり、その南が溝昨神社で、南側から松並木の参道がある。

府道は先鋒橋で安威川を渡り、大阪体育大學や浪商高校の前を経て鮎川に入り、鳥飼八丁富田線の府道を横切る

鮎川四丁目から芥川の支流の玉川を渡ると高槻市西面で、この辺りは玉川の里として、古くより卯の花とともに

月見の里として伝わり、玉川橋住宅前にその碑と碑文がある。

東に進むと、府道に沿って工場が続き唐崎に入り、江口への府道を横切って集落の中を行くと、道幅はやや細くなるが

古いたたずまいを感じる町筋となる。特に唐崎中一丁目には皆念寺・信楽寺が並んでいて、その向かい側の

農協支店の前に道標も残っている。まもなく東海道新幹線をくぐり、芥川堤防下を北に進み、鷺内橋を渡り番田に入る。

淀川堤防上を南から東に向きをかえ、河川敷のゴルフ場北側の堤防上を大塚に至る。

枚方大橋北詰で国道170号線を横切る。大塚町東部で枚方街道と接するが、ここは以前の三矢の渡し跡で、

茨木・枚方両街道の接点であり、現在大塚河川敷公園の中央南部に、両街道名とその経路を示す道標がある。


通行手形平成十八年(2006)八月十五日発行  作成日2006年8月16日  編集日2006・8月16日

昼過ぎから、高槻市立歴史民俗資料館(旧笹井家住宅)で建物の説明を学芸員の方に受け、

展示品をカメラに収め、しろあと歴史館に行く。しろあと歴史館で高槻の道しるべを購入、次の講座の日程を聞き

そのあしで野見神社に行き、10枚程度の写真を撮る。それから茨木街道の道標を確認するべき、唐崎に向かう。

大阪高槻線・府道16号線を高槻から大阪に向かって走る。府道14号線と交差して、次の交差点右角がエネオスの

ガソリンスタンドを左折して直ぐにY字の交差点を右に行く。100mほど走ると左に信楽寺、右側に農協支店がある  

その前に道標がある。明治四十三年六月・直大塚 枚方・茨木 吹田 直三島江 鳥飼 左大塚 枚方

三島江 鳥飼  茨木 吹田 大阪の字が読み取れた。

唐崎1丁目農協前

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