境一里塚

一里塚は慶長十四年(1609)二代将軍秀忠の時代に江戸日本橋を起点にして五幾七道に道路の
里程を知らせる交通施設として一里毎に(約四キロメートル)構築されたものである。
この一里塚は加賀藩領内における第一号のもので、県内において当時のままの姿で残されて
いるのはここだけで歴史的な交通に関する文化財として貴重な遺跡である。
一里塚の面積は五間四方(約82㎡)とされ塚には必ずえのきを植えたと言われる
                                   現地案内板より

通行手形日:平成二十三年五月二日 作成日:平成二十三年五月九日

新潟県から富山県に向かう途中、北国街道の境一里塚に寄ってみました。
富山に向かって走っていると、大平川を渡ってすぐ右に境一里塚がみえてきます。
車は周辺上り、下りとも停められますので、安心して楽しめます。

所在地在地:富山県新川郡朝日町境字東地1873-1

塚の上には、庚申祠がまつられていました

境一里塚内にある里程標

道路から一段下がった境一里塚

現地の案内板

樹齢約400年のえの木と案内板

周辺の山々に雪が残っていました

北国街道

北陸道

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