日本城巡り

放出街道

平野区平野〜布施〜放出〜旭区〜守口市高瀬町〜竜田町で京街道に接する


中高野街道の延長ともなっている放出街道は、平野区平野より

東大阪市布施を通り、鶴見区放出を経て北上し、旭区清水町を

通って守口市高瀬町に入り、竜田通りで京街道に接する道である。

竜田越奈良街道国道25号線の平野宮町から、杭全神社の横を

平野川に沿って関西線を横切り、北にほぼ一直線に進んで生野区

に入る。巽南四丁目の府道と斜めに交差する西側、新巽中学校の

横に楠正長旧跡の碑があり、巽北二丁目で俊徳街道を横切って行く。

道は屈折して進み、清見原神社の少し北で、東に折れて小路町中頃で

バス通りに出て、東大阪市足代に入り蓮信寺の東を北に曲がると

布施駅前に近く商店街となる。

近鉄布施駅南に安産地蔵が移設され、立派なお堂にまつられてある。

近鉄線をくぐってからもしばらくは商店街がつづき、暗越奈良街道の広い

府道を横切る。西側に深江稲荷神社があり、この辺りは伊勢参りの

菅笠ゆかりの地となっている。中央大通りを横切って行くと、学研都市線の

放出駅の南に達し、諏訪神社の古木の茂る社を左に見て、長瀬川を渡り

放出駅東に出る。すぐ左手に阿遅速雄神社があり、門の横に道標が保存


されている。鶴見区内をやや曲がりながら北へ進み、放出大橋で寝屋川を

渡り、鶴見の住宅街を通り、椿本チェーンの工場の間を抜け、鶴見小学校や

緑中学校西を進む。緑町の東方、守口市が鶴見区内に入り込んでいる

地帯につづき、茨田町にから北に進み旭区に入り、新森町から清水町を

経て守口市域に進む。真宗大谷派世木御堂、護念寺の前から高瀬町

高瀬神社の前に出る。ここに高瀬川の碑があり、合併前の旧守口町と

三郷町の境界になっていた高瀬川は埋め立てられて道路に拡張され、

旧三郷町側の大枝北町に常夜灯の道しるべが残っている。

高架になった京阪電車守口駅の北方をくぐって、竜田通りで京街道に接する。

作成日 平成十八年(2006)七月二十三日
通行手形平成十八年(2006)十二月二日発行
編集日 平成十八年(2006)十二月十日

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阿遅速雄神社の山門

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放出街道

阿遅速雄神社境内の道標

阿遅速雄神社の宮司さんに聞く

阿遅速雄神社の山門は、明治初期に近くの屋敷から移築したと話を切り出された。

建築は、江戸時代後期の門で移築した時にクレーン車が入れないので、50Cm程セメントでかさ上げしたと

言われていた。境内の楠の木は、樹齢450年と言われているが、専門家に観てもらうと

樹齢千年とも言われたが大阪市が450年と言っているので、そのままにしているとも言っていた。今まで、

二度雷が落ち、左三分の二が死んだ状態になっているが、上の方を切り落とすと昔のように枝をのばし


堂々としていると笑顔で説明をしてくれた。また、神社に山門があるのは珍しいですよ、と胸をハッテ言われた。

放出駅は、旧大和川を埋め立てて(片町線)学研都市線の放出駅を建設し、南側に運河を掘って迂回させたと

説明してくれました。
昔は、真っ直ぐな川であったが、放出駅と所だけが曲がっている

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