江口街道
東淀川区〜南江口 2里(約7.8km)
江口というのは難波江口で、淀川を上下する川船に、瀬戸内海を往来する海船から乗せ換える所であった。
江口街道は舟によらず江口の湊から、陸路で中島街道につながる街道の一つである。
阪急上新庄駅南の東淀川区端光一丁目で中島街道に分かれ、小松町を東に進み、近年になって
まとまってきた住宅街の中を通る。
北側の通りである小松三丁目の石山合戦由緒地の端松寺や、四丁目の松山神社『天満宮』のある辺りには
旧家も残っている一角がある。
府営住宅の南で新幹線路線をくぐり、南江口二丁目から三丁目に入る所、井高野に通ずるバス道に
大阪市の立てた君堂への道標があり、そこから一つ北の道を東に進むと江口の集落の中に小さな道標がある。
さらに教徳寺東の三丁目に、安政年間の江口渡しの道標があったが今は無くなった。
江口の君堂寂光院は、その南側淀川の堤防下にある。寂光院には平資盛の娘妙の坐像を安置している事から
君堂の名で知られている。妙と西行法師の歌問答も伝えられ、境内に二人の歌碑や西行塚・君塚がある。
寂光院の創建は元久年間(1204〜)となっているが、戦火で焼失し正徳年間(1711〜)善門比丘尼が再建し
天台宗から日蓮宗に改められ、代々尼僧が住持してきている。
昔の淀川と神崎川(旧三国川)は改修されて、現状のように淀川は湾曲が少なく川幅は広くなり、
神前川は幅が狭くなっている。
往時の両川の分流点江口は淀川船便の要衝で、殊に上古、応神期以来難波津の発着港となり、
唐使(中国の使者)を迎えていたことが伝えられている。
川の改修で、昔の船着き場の遺構は何も残っていない。
作成日 平成十八年(2006)九月十六日
通行手形・平成十八年(2006)九月二十三日発行
編集日 平成十八年(2006)九月二十四日
常夜灯
江口の里
淀川と神崎川の合流点で昔の船着場
昔の船着場