若狭・美山     二人旅

府道46号線

園部城・模擬天守

園部城・表門

現存・筋鉄門

美山かやぶき美術・資料館

大野ダム湖

神田の名水

小浜城の天守台

美山のかやぶきの里

周山街道

ナビに園部城址が映し出され、急遽ハンドルを左にきる。
まず、天守と思われる建物が目に飛び込んできた!。
この建物は園部国際交流会館で右下に見える石垣の下には
50mのプールが8レーン備えてあった。
手前が無料駐車場で50台は停めれる。
だが、ナビに映し出された園部城址は少し南になっている。

9月16日早朝から、京都府美山のかやぶきの里を目指して自宅を出発。
国道171号線から茨木の河原交差点を亀岡に向かってハンドルを切る。
途中、高槻街道に合流。穴太寺の表示板が目に付く。
国道9号線に乗り、しばらく進み、国道27号線に切り替える。

園部城

217

園部城は中世に、この地域の豪族であった荒木氏の居城であったといわれる。
その当時の城は、平地の居館部と、小麦山の詰めの城とが一体化した、
この地域にありがちな形態の城郭であったものと思われる。北側を流れる園部川、
西側の半田川が天然の堀となっていた。
天正六年(1578)、丹波攻略を命じられた明智光秀は、荒木山城守氏綱が籠もる
園部城に攻め寄せた。そして四月十日、水の手を切られた園部城はついに落城した。

登城日 平成十九年(2007)九月十六日  作成日 平成十九年(2007)九月十七日

現在は、園部高校の校門として今も生徒を見守っている。
表門の右側に巽櫓が現存しており、一見学校とは思われない構えである
この表門と巽櫓は明治二年に大々的に改築された時の建物と思う。

絵画などの芸術作品を展示する美術館と貴重な民具などを
展示する資料館で構成。
入場料 2棟で500円 電話 0771-75-1777番

大野ダムは、京都府の中・北部を流れる由良川の上流部に位置し、
昭和36年に完成、昭和37年4月から京都府が管理しているダムです。
大野ダムは南丹市美山町にあり、周辺には多目的広場や散策路があり、
毎年、春にはさくら祭り、秋にはもみじ祭りが行われ、多くの人々が訪れます。

大野ダム

美山美術館・資料館

園部国際交流会館

神田の名水

美山の名水として知られる「神田(じんでん)の水」は、
美山名水株式会社の向かい側にあります。

神田の水は、微アルカリ性で臭いのない冷たい清水です。
有機物や細菌も含まず、鉄・マンガンの汚染もありません。
また歯に影響を与えるフッ素の含有量も少なく、
この地域にしては硬度が高く、ミネラル分の多い美味しい水です。

南丹市美山町島

美山を目指す

小浜城

218

天正四年(1576)丹羽長秀は織田信長によって若狭十万石を与えられ、
後瀬(のちせ)山城で若狭一帯を支配したが、関ヶ原の合戦後、京極高次が8万5千石で
後瀬山城に入城した。京極高次は海路の要衝を占める小浜の繁栄を図るため、
海辺の雲浜に新城を築城することとし、
慶長六年(1601)から六年の歳月を費やして小浜城を完成させた。
京極高次が没すると、後を継いだ嫡子忠高が着工した。しかし、基礎工事半ばの時
京極忠高は出雲松江城に転封。代わって武蔵川越城から酒井忠勝が小浜城主となった。
酒井忠勝は徳川幕府の許可を得て、京極氏が行った小浜城の修築工事を継続、
寛永十四年(1637)に三層の天守が完成した。酒井氏十四代の居城とした。

福井県小浜市城内1丁目

京都府南丹市園部町小桜

京都府南丹市美山町大野

京都府美山町北村

かやぶきの里北村

京都府美山町 かやぶきの里北村は現在50戸中38戸がかやぶき屋根の建築の集落で、
集落でのかやぶき建築数は岐阜県白川村荻町・福島県下郷村大内宿に次ぐ全国第3位です。
又その他の伝統技法による建築物群を含めた歴史的景観の保存度への評価も高く、
平成5年12月、国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けました。

周山街道

周山街道(国道162号)は、京都御室仁和寺前から京北町周山へ続く道。
昔、『畑の姥《うば》』と呼ばれた梅ケ畑の女性は、梯子や鞍掛けなどを頭上に載せ、
この街道から市中に入り、品物を売り歩いた。街道沿いには紅葉がすばらしい高雄、
槇尾、栂尾の三尾があり、さらに進むと道は北山杉の美林の間を抜け、
山里の風景を満喫できる。
   
                              全走行距離 352km

再訪

inserted by FC2 system